赤沢氏館

赤沢氏は、小笠原氏の分家で、初代・清経が鎌倉時代の初め頃に伊豆国田方郡赤沢郷の地頭となり、その名をとって赤沢氏を名乗った。赤沢氏が浅間郷に入った時期ははっきりしないが、正平十年(1355)桔梗ヶ原の合戦では、小笠原軍の中に赤沢氏の名が見えるので、この頃にはすでに浅間郷にいたものと推定される(松本市教育委員会『新編 松本のたから』)。

赤沢氏は、天正十一年(1583)他の諸将と共に小笠原氏に謀叛を企てたのが発覚し、切腹を命じられて亡び、城館跡は廃された(『本郷地区景観整備委員会・現地説明板』)。

ここは代々稲倉城主が居住した場所と推定され、稲倉城山の麓にある。稲倉峠に続く林道を登っていくと、集落のすぐ上部に説明板や石碑が設置されている。

 

(【左写真】居館跡地 【右写真】現地石碑

(現地説明板)

 

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