砥石城

周囲の三つの城郭「砥石」「本城」「枡形」を総合して「砥石城」といった。

”砥石”は上田町に一番迫り出しており、松の山の頂上にある。登山道は非常に険しいものであるが、その頂上からは真田町や上田市を眼下に一望できる景勝地である。

村上義清の本拠・葛尾城の支城のひとつであり、1550年武田信玄が村上氏を攻めた際にその勢力接合点であったため攻撃された。攻防一ヶ月の後その堅固ぶりに退却止むを得ずの状況となったところに、義清の追撃も受け「砥石崩れ」と呼ばれる惨敗を喫した。信玄は重臣を討ち死させ、自ら「当家の凶事なり」というほどの痛手であった。

その後、この地域に精通する真田幸隆が謀略によって陥落させた。真田氏はかつての砥石城主で村上氏に追放された海野氏の一族で、城内の招降作戦が成功したからであった。村上方の武士を謀略によって内通させ、油断の砥石城兵の虚をついた襲撃によって落城させたのであった。

国道からすでに城址への案内板があるのでスムーズに訪問できると思ったが、いよいよ登山という所で案内が無くなっている。車を停めるスペースもなく路駐した。多分他にちゃんとした登山道があるのだろう。それらしき登山道を行くとしばらくはなだらかな山道であったが、山腹からはこれまで今まで体験した事もような急坂が。ロープが一本垂れ下がっていて、これにつかまって四つんばいになって登った。山麓から20分ほどの登山。

戸石城の戦い-戸石崩れ-

 

(城跡の航空写真)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図  

(長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』掲載の概念図  

 

  

(【左写真砥石城の砥石址。意外と狭いが、ここからの展望は一品【右写真】城址より上田城方面を望む。)

米山城から見た城址)

真田本城からの遠望)

真田氏諸城配置図

 

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