押野城

押野城(高田城とも。★★長野県安曇野市明科・標高625m、比高80m。)

日岐氏の最南端の城で、高田大和守繁清の持ち城とも伝えられる。

附近に城が平、馬場、狐山などの地名が残っており、大手筋は大上野の高田氏の家の方で、ここに根小屋があったという(『図解 山城探訪』)。

主郭は45m×17mの楕円形。西側半分と北端に土塁が残り、北の尾根から東の斜面には三段から四段の曲輪がある。南尾根には小さな堀切が三〜四条あって、西側には、主郭より5m下に武者走りが配置されている。その下10mには長大な曲輪があって土塁で守られている。

城址へは、県道51号の「テレビ塔バス停」を北に入って、押野山の頂上を目指して車道を登っていく。600mほど走ると広大な平地に出るが、これが「城が平」であり、その東の小ピークが主郭。

 

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】主郭の城址碑 【右写真】主郭 

 

(【左写真】主郭には土塁が残っている。【右写真】主郭の先には空堀があって、奥に郭が見られる。

 

(【左写真】主郭北の郭から主郭を望む。【右写真】主郭下の堀切。

 

(【左写真】主郭北の郭。【右写真】「城が平」。広大な平地で、現在は耕作地となっている。

(城址遠望)

 

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