躑躅ヶ崎館

 武田三代の拠点。1519年信虎が石和からこの地に転居したのが始まりという。幾つかの郭を配し36メートルの土塁で囲まれ、その外にはさらに深い水堀が巡っていた。しかし本格的な城郭は裏山の要害山城に築き、平時の政治の場として活用した。

その後も信玄は「人は城」という言葉に代表されるように、甲斐には城を築く事はなかった。『甲陽軍艦』によれば信玄は国境での合戦に常に勝利すれば、その内部に堅固な城を造る必要がないと語ったという。

しかし勝頼が長篠・設楽ヶ原の合戦で破れ、斜陽の武田氏にはこの館では織田・徳川軍を防御しきれなくなり、韮崎に新府城を建築し、火を放ち廃城となった。現在武田神社のある場所が城址であり、甲府の主たる観光地のひとつとなっている。

  

(武田神社。隣には歴史資料館がある。完全な観光地である。右写真は空堀址。)

 

(水堀址)

 

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