来馬城

標高562m、比高130m。

来馬(くるま)城は、姫川の支流浦川の川口の半島状に突き出した小山上にあり、両河川に裾を削られて、下部は岩壁が取り巻き、登るのはきわめて困難である。南東の先端部に登攀可能な場所がある。南東目の前が平倉山(平倉城である(『図解 山城探訪』『現地説明板』)。

山頂部の曲輪群と北東中段の段丘上の平地の2つの部分に遺構があり、頂上の主郭には二段の腰曲輪があり、東にはっきりしない四段ほどの平場、その下に堀形が残る。さらに三段下ると堀があって、また三段あるが、その下は急崖になる(『図解 山城探訪』『現地説明板』)。

明治四四年(1911)八月八日未明午前三時、稗田山の崩落(日本三大崩落の一つ)際、大土石流が衝突した松ケ峯に位置する。来馬河原は、かつては美田地帯として知られ、来馬宿は、千国街道(塩の道)が通る重要路線の宿場であった(『現地説明板』)。

城址は、浦川が囲繞し、断崖に囲まれた要害の地にある。平場がいくつか見られ、堀跡らしき地形もあるが、簡易な城砦であったのか、明確な遺構までは期待できない。

「道の駅・小谷」から常法寺方面に進んで行き、頂上にアンテナなどがある松ケ峯無線中継所を目指していく。途中、ヘアピンに脇道があって、そこから徒歩。ほとんど登山もなく、5分も歩けば城址。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

(宮坂武男著『図解 山城探訪』『現地説明板』掲載の鳥瞰図)

 

(【左写真】主郭。広くない。物見が置かれた程度と感じる。【右写真】二の郭も細長い地形で、居住性は低い。)

 

(【左写真】二の郭下の堀跡。比較的良好に残る。【右写真】主郭付近の北側には腰曲輪がある。)

 

(【左写真】主郭西側の堀跡と段郭。【右写真】城址から浦川を見る。)

 

(【左写真】城址登山道入口。【右写真】稗田山の崩落で、城址付近に飛んできた土石流の岩石。)

(城址遠望。中央の丘陵の頂上に主郭。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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