雷城

標高624.7m、比高120m。小泉下の城、朝日山城とも。

上田原の西の山、城山(933m)から南に延びた山尾根の末端部朝日山に立地する。高仙寺大日堂の裏山で、その上部山頂には、詰の城・小泉上の城がある。

城主は、鎌倉時代より小泉庄に勢力を張っていた泉氏の後裔である小泉氏とされる(大正十一年『小県郡誌』)。小泉氏は、上田原の合戦で、小泉喜見斎重成とその子・宗昌は村上義清に従って戦ったが、村上氏が越後に逃亡すると武田氏に属し、天正七年(1579)頃には、小泉昌宗がここに居城したという(『図解 山城探訪』)。

主郭は、北側に「雷(かみなり)さん」と呼ばれる石祠があり、広さ17m×14mで、土止めの石積みが三段ほど残る。さらに二の郭が見られるが、山全体は崩れ易い岩質で、遺構の多くは埋没したと思われる。その他、二段の削平地があるが、簡素な造りで、在地土豪の要害城としても小規模である。小泉氏は、ここを本城としていた時期はあったと思われるが、後に、須々貴城に移ったとも考えられる(『図解 山城探訪』)。

城址へは、大日堂から登山道が走っている。丹念に手入れされている山のようで、伐採木とともに登山道も見られる。城址は特に説明板などは無いが、10分も登れば到着する。ただ、砂礫山で崩落が激しく、明確な遺構は残っていない。確実なのは、複数の曲輪と一部に残る石積みで、かなりのマニアでなければ、ここが城址とは分からないような状況。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の鳥瞰図)

 

(【左写真】主郭。写真の祠が「雷さま」だろうか?【右写真】主郭の背後を見る。もはや縄張図にある堀切は無い。)

 

(【左写真】主郭の周囲は石積みが守っていたようである。【右写真】主郭と二の郭の脇には空堀らしき地形も。)

 

(【左写真】分かりにくいが主郭と二の郭の切岸。【右写真】二の郭部分の石積み。)

 

(【左写真】大手道から城址を見る。このように砂礫で埋もれている。【右写真】登山道のある大日堂。)

(城址遠望)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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