小泉氏館

標高479m、比高28m。

小泉氏の館跡と伝えるが、伝承・史料等は不明。小泉氏の居館地については他に籏鉾館がある。

小泉氏は、泉小次郎親衡の末裔とされる。戦国時代の天文十七年(1548)小泉重成は村上義清に属して上田原の合戦で武田信玄と戦う。村上氏が越後に走り没落すると、武田氏に属し、武田勝頼滅亡後、浪人したという(『図解 山城探訪』『長野県町村誌』)。

小泉氏は二十騎の将として武田軍で活躍した(『甲陽軍艦』)。小泉氏の詳しい歴史は判然としないが、武田勝頼は天正三年(1575)十二月十六日「討死ならびに忠節人の遺跡は、継ぐべき人が幼少の場合、十八歳になるまで武勇の人に陣代を申しつけ、遺族への給与などは不足なく渡すようにせよ。しかし十八歳になった翌年は速やかに知行や被官などを返すと誓詞をもって定めるよう」という内容の書状を小泉重成(昌宗とも)に送っている(『信濃史料 十四巻』、笹本正治『戦国大名の日常生活』)。

館跡は、字東寺畑で、大日堂への参道が通る台地の先端部になる。東西南の三面は崖にあり、北側は台地へ続くが、その範囲などははっきりしない。東西70m、南北60mほどの規模であったと推定されるのみで、遺構は無い(『図解 山城探訪』)。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の鳥瞰図)

(推定跡地だが遺構は無い。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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