浦野城

(附:物見松砦)

出城とも。標高626m、比高130m。

浦野集落に迫り出した山尾根上に位置する。浦野氏代々の城で、戦国時代には村上氏に属して上田原の合戦に参陣、村上義清が没落すると武田信玄に降る。武田氏が滅亡すると、一時期、上杉景勝に従うが、元和八年(1622)真田信之に属して松代へ移った(『長野県町村誌』『図解 山城探訪』)。

主郭は18m×20mで、二の郭より1m高く、石垣に守られている(『図解 山城探訪』)。また東側には「馬場」と呼ばれる平地もあって、傾斜面には複数の段郭が見られる。しかし、これらはいずれも明確な遺構とまでは言えない状況である。段郭にも石積みが確認できるが、どうも江戸時代〜近年の耕作化跡に感じられる。

中世の山城として確実なのは、浦野城の背後に築かれた「物見松砦」。こちらは複数の堀切と土塁を配して、小規模ながら典型的な中世城塞。

城址へは、浦野集落の墓地の所からか、宗安寺の境内手前の小道を進む方法がある。登山とさほどキツくなく10分少々。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張り図)

 

(【左写真】浦野城は荒れている。【右写真】主郭背後の頂上部。ここにも郭があったと思われる。)

 

(【左写真】主郭背後の堀切状の地形。遺構なら相当に大規模なもの。【右写真】山麓にある伝・浦野氏五輪塔。)

(物見松砦)

 

(【左写真】主郭。物見台にしては広く本格的。【右写真】主郭の土塁も良く残る。)

 

(複数の堀切で尾根を遮断する典型的な中世山城。)

(城址遠望)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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