宮城氏館

東京都足立区宮城1丁目には、宮城氏の居館があったと伝わる。

宮城氏は、豊島氏の庶流で、豊島氏没落後は岩槻太田氏(太田三楽斎資正)に仕えた。その後、徳川二代将軍秀忠に召し出され、旗本として続いた(『日本城郭大系』)。

宮城村の西の荒川の岸に位置し、三丁五段の地で、文政年間(1818-1830)には既に畑となって遺構は残っていなかったらしい(『新編武蔵国風土記稿』)。

現在、この地は、荒川と隅田川に挟まれた中洲の狭い地理となっている。氷川神社付近が跡地とされるが、石碑以外それと分かるものは無い。

 

(【左写真】跡地の氷川神社 【右写真】神社境内にある石碑 )

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

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