中山城

標高875m、比高155m。

この城に関する史料は無いのか『日本城郭大系』にも掲載されていない。天文十二年(1543)武田晴信の小県侵攻の際に落城したものと思われる。

長門町大門と和田村下和田との間の山で、依田川と大門川の合流する所の間の山が中山である。古町方面から見ると正に両谷の真ん中に位置するために、大門の谷と和田の谷両方を視野におく立地である(『図解 山城探訪』)。
中山の集落は文字通り依田川と大門川が落ち合う場所であるが、大門峠や雨境峠越えの道や和田峠、男女倉越えの諏訪への道や扉峠越えの松本への道が合流する所で古来交通の要衝である。従って近在の在地豪族層の要害としてばかりでなく、小県の支配にかかわる戦略上の重要な拠点であるため、戦国期にはそれなりの任務をもって管理された砦であると思われる(『図解 山城探訪』)。

遺構は素晴らしく残っており、長い尾根筋に堅固な山城が築かれている。主郭周囲の三重堀切や堀切・土塁によるコの字の食い違い(尾根筋)など、比較的高度な縄張りを見せている。長い年代に亘って順次拡大された城砦のようである。

登路は、青原の発電所側からも登れるが、東山下から尾根通しに登るのが古くからの道と思われる。登山は20分程度で、案内板などは一切無いが、安定した登山道が続く。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】最高部にある主郭。【右写真】主郭には土塁がめぐっている。)

 

(【左写真】主郭から搦め手の三重掘切を見下す。【右写真】三重堀切はいずれも大規模。)

 

(【左写真】大手口から主郭虎口・三重堀切を見る。【右写真】主郭から大手を降ると尾根筋に堀切。)

 

(さらに主郭から降る尾根筋にはコの字の食い違いがある。明瞭に残り興味深い遺構。)

 

(【左写真】中腹の郭を主郭側から遠望。【右写真】中腹郭は堀切と土塁で防御されている。)

 

(【左写真】中腹郭は最も広大。【右写真】中腹郭の下段には虎口郭がある。)

 

(【左写真】一部登山道には石積みがあるが遺構かは疑問。【右写真】山麓から5分ほどで祠がある。)

 

(【左写真】登山道入口。案内は無い。【右写真】城址を和田地区から遠望。)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

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