鳥屋山砦

標高735m、比高95m。

鳥屋峠の登り口に位置する砦だが詳細は不明(『長野県町村誌』)。一説に、鳥屋城の出城で天文年間に鳥屋甚八郎が守った。その後、天文十一年(1543)武田晴信の侵攻により十二番目に落とされたという(大正十一年『小県郡誌』)。

天文二十二年(1553)八月、武田晴信は落城させた「高鳥屋城」に登り、周囲を見渡している(『高白斎記』)。この「高鳥屋城」とは、鳥屋城のことと思われるし(『日本城郭大系』)、「低鳥屋城」もあったのであろう。おそらくそれは鳥屋山砦ではなかろうか。

三方が急斜面の険しい山体で、特に前面は岩山で急峻。山頂の石尊社のある場所が主郭(17×9m)で二段になっている。周囲にはお宮建設の際に積んだと思われる石積みがあり、背後に小規模の堀切が二条ある。鳥屋峠を監視する砦とみられる(『図解 山城探訪』)。

城址へは、山麓の弥勒寺から登山道がある。弥勒寺の左手の林道を進むと、墓所手前、すぐの場所に道があり、頂上まで間断なく続く。10分弱で主郭へ。

丸子地方の城郭地図

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】主郭。石尊社が建っている。【右写真】一条目の堀切跡。規模は小さい。)

 

(【左写真】二重堀切の間の小郭。【右写真】二条目の堀切跡。小規模。)

 

(【左写真】その先の尾根。特に土木跡は無い。【右写真】主郭付近の石積み。遺構かは不明。)

(城址遠望)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

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