鳥屋城
標高850m、比高285m。鳥帽子城、依田城、首切城、大年寺城とも。 依田川の谷と武石川の谷が合流する武石沖北西の山にあり、周囲は険しい岩山である。 いずれにせよ要衝の立地から、武田氏の侵入の時、以後の真田氏の小県統一の時期にも、この地方の重要な城のひとつとして使用されたとみられるが、はっきりしたことは分かっていない(『図解 山城探訪』)。 天文二十二年(1553)八月、武田晴信は落城させた「高鳥屋城」に登り、周囲を見渡している(『高白斎記』)。この「高鳥屋城」とは鳥屋城のことと思われるし(『日本城郭大系』)、「低鳥屋城」も存在したのであろう。おそらくそれは鳥屋山砦ではなかろうか。 遺構は、5つほどの曲輪と、堀切・土塁、馬出し、枡形状の地形が残り、残存状態は良好だという(『図解 山城探訪』) 周囲の山々には多くの城が構えられている。その中心とも思われる場所で、鳥屋集落からだと比高230mほどで登れるようだが、今回は断念。 |
(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)
(武石地区からの城址遠望)
(東内地区からの城址遠望)
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