小諸城

白鶴城や酔月城とも。1487年に小笠原氏の一族が築城したのが起源という。天文二三年(1554)には佐久・小県地方を押さえるために武田信玄が改築した。山本勘介・馬場信房が信玄に勧めて修築したともいう。彼らの縄張りによって大城郭へと変貌を遂げた。

その後、小諸城は慶長元和年間(関ヶ原役前後)にわたって時の城主・仙石氏が大改修を施したといわれる。

関東地方から信越地方への出入り口に存在し、街の下を千曲川が流れる要害として注目され、その後は織田氏、北条氏、徳川氏が所有している。現在は懐古園という公園になっており、その保存・復元方針には手放しで賛同する事はできないが、一応の城址として、また観光地として人々が訪れている。

 

(本丸址。この先に懐古神社があり、他に動物園や遊園地、島崎藤村記念館などがある。)

 

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