真田屋敷

御殿屋敷とも。

内村川の左岸の内村街道を見下す台地上に位置する。宮沢集落の背後で独鈷山の直下に当たり、東側に御屋敷沢が深い谷を造っており、霊泉寺城が西南1.3kmにある。

東西92m、南北83mで、戦国時代に真田幸隆の四男・真田隠岐守信尹が居住した場所という(『長野県町村誌』)。また一説に、真田昌幸の息子・真田昌親(三男)が元和八年(1622)兄・信之に従って松代に移るまでここに居館を設けていたともされる(平成四年『丸子町誌』)。

独鈷山の登山道と農道に挟まれた緩斜面にあり、主郭は40m×50mで、東辺に石積みの土塁が残っている。二の郭の土塁跡が残り、最下部に三の郭として畑地がある(『図解 山城探訪』)。石積みは古い形状で、かなり崩れているが、相当な規模の館があったものと感じられる。

跡地へは、国道254号の宮沢集落にある独鈷山登山道の案内に従って北に入り、登山道へ進んだところにある。

丸子地方の城郭地図

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の鳥瞰図)

 

(【左写真】主郭。後年の耕作地化を受けている。【右写真】主郭の土塁残片。)

 

(【左写真】主郭の上の二の郭。【右写真】二の郭の土塁石積み。崩れた部分も多いが、ここは良く残る。)

 

(【左写真】三の郭とされる場所 【右写真】現地案内板 )

(真田屋敷のコスモス畑。後方に独鈷山が見える。)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

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