鳥羽城

標高843m、比高290m。

依田川へ武石川が合流する所の西の鳥羽山が鳥羽氏の居城とされる。

もともと鳥羽氏が居住したというが、事跡は不明で、天文年間(1532-1553)に福島肥後守という人物が守ったとされる(『長野県町村誌』)。福島肥後守は武田晴信の家臣となり、その後、依田信蕃の配下となるが天正十一年(1583)三月二十二日岩尾城の合戦で討死し、以後、廃城となった(『信濃細石』、大正十一年『小県郡誌』)。

主郭には石碑があり、22×14mで土塁の痕跡がある。二の曲輪は主郭3m下に堀切を経て存在し、土塁が全周している。三の曲輪は二段に分かれ、下段は土塁が囲み、その北側10m下に25×4mの腰曲輪を配す。全体に険しい岩山の頂上にあり、尾根筋は簡単な堀で遮断するだけで済ましているが、曲輪は土塁で防御しており、小さいながらも堅固である(『図解 山城探訪』)。

鳥羽山は地図にも掲載されている山だが登山道は無い。名著『図解 山城探訪』には、「登路は鳥羽館背後の沢筋を詰め、標高716mの鞍部から深山側の沢を3つほど横切って、北尾根下の平地群のある鞍部へ出る道が最も登りやすい。北尾根通しの道は絶壁をよじ登る危険な道で登城路とは考えにくい」と記される。

丸子地方の城郭地図

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

(城址遠望。いかにも険しい山並みで、「登山道無し」の情報では、とても登る気にはなれない。)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

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