御岳堂館

標高594m。

大字「御岳堂」にあり、依田城の北麓になり、傾斜面に階段状の平地を並べている。

かつては「依田氏居館跡」として、土塁・馬場の痕跡が残っていたという(『長野県町村誌』)が、現在は確認できない。依田城に対する居館とされ、文明九年(1477)七月二十日、依田孝玄という人物が継母に殺害されたのは、この館ともされる。また木曽義仲挙兵の際、佐久の根井氏を従えてこの館に迎え入れ、依田氏は義仲にその館を譲ったともいう(『平家物語』『源平盛衰記』『図解 山城探訪』)。

数段の階段があるので、館跡がどこかはっきりしない。その大きさは縦26m、横90mの四段郭という(『上田小県誌』)。現在、耕作地・荒地となっているが、ここからの見晴らしは良く、いかにも豪族の好みそうな地形である。

丸子地方の城郭地図

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

(館跡地である「御岳堂」付近。遺構は無い。)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

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