依田常憲屋敷

標高549m、比高10m。

下丸子の東の山に近い段丘上に土地の人が「一本松」と呼んでいる塚がある。高台になっているため、丸子の諸城が見渡せる。

依田常憲の屋敷と伝わるが、古くに耕作地となっており、また屋敷に関する事跡も無いという(『長野県町村誌』)。
依田常憲についてもはっきりした事は分かっておらず、依田氏の一族であって、南北朝の頃に依田氏が依田川左岸から右岸地区へ進出し、水田開発をしながら佐久方面まで侵出していく際の拠点のひとつと思われる(『上田小県誌』)。

屋敷の中心となる地は40×40mで、土塁の残片ともされる塚が残り、一本松と石祠がある。その下には腰曲輪と思われる地形が見られるが、遺構としては明確でない(『図解 山城探訪』)。

丸子地方の城郭地図

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の鳥瞰図)

(屋敷跡地の塚と一本松。周囲の展望に優れている地形。)

 

(【左写真】一本松脇に祀られた石祠。【右写真】いくつかの削平地があるものの、耕作地となり遺構かは不明。)

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