大岡城

砦山城とも。標高910m、比高40m。

麻績から信州新町に抜ける山道に位置し、大町、安曇野にも通じる要衝にある。

城主はよく分かっていないが、永禄元年(1558)武田晴信が、長尾景虎の進攻に備え、北信濃の諸城の番手を決めた際、「大岡城」の籠城衆として市川梅隠斎や青柳近江守清長の名がある(『歴代古案』)。
昭和五十四年に発見された城址であり、40m四方の単郭で、内部は二段になっている。周囲に土塁が全周し、その外側に堀が囲む。北側は急斜面で高い土塁で守り、南・東には丸馬出しがあって、西には三日月堀と小曲輪を配す。近く天宗寺が館跡とされている(『図解 山城探訪』)。

遺構は、整備されておらず見学しづらいが、往時そのままの状態で残っている。武田氏流築城法の特徴といわれる丸馬出しや三日月堀が見られる。
しかし規模が小さく、これらの設備が有効に機能するような縄張りに思えない。あたかも武田氏が築城方法を研究するのに試作したミニチュア城砦に思えてくる。
江戸時代くらいに地元のマニアが武田氏流の城郭を再現したものではないかとさえ感じられるほど、実戦には適していない縄張り。
良好な遺構?だが、籔が酷く、写真に撮ると何が何だか分からなくなるのが残念。

(参考サイト『信玄を捜す旅』)

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の鳥瞰図)

 

(【左写真】東側の虎口土橋。両脇が空堀で、手前に馬出しがある。【右写真】主郭を囲む空堀。)

 

(【左写真】主郭。二段の高低差があるものの籔で不明瞭。【右写真】西南側の腰曲輪。)

 

(【左写真】西側の三日月堀。これが小郭を形成している。【右写真】主郭西側の空堀。)

(城址遠望)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

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