和田之城
標高694m、比高229m。 聖山から西北の犀川に延びる尾根続きにあって、深い谷の樋沢の渓流が西南を流れ大岡村と界している。 最高所を見張台的な小郭とし、この下に本部を置く当地方では珍しい縄張りの山城。見張台は7m×3.5mの楕円形、本郭は15m四方で、その下に三つの段郭が続き、湧き水も近くにある(『日本城郭大系』)。 この城は、鎌倉時代・香坂氏統治からのもので、「のろし台」とも呼ばれている。松本の小笠原氏に対するもので物見の出城と考えられる。戦国武田氏時代には、牧之島城の出城として甲斐本国との連絡の砦であったとされる(長野郷土史研究会機関誌『長野 第97号 山城・館特集号』桐山繁雄「和田之城」)。 また、埋蔵金伝説があり、「朝日さす夕日輝く和田之城 雀のこおどり三足半なか 漆千倍 黄金千倍 朱千倍」という言い伝えが地元に残る(『現地案内碑』)。 城址脇まで車道が走り、訪問に苦労は無い。かつて整備されたようだが、現在は下草が激しい。それでも複数の郭が見て取れ、見晴台からは牧之島城が遥か眼下にうかがえる。 |
(【左写真】登山道入口の城址碑。【右写真】主郭だが雑草・蜘蛛の巣が酷い。)
(【左写真】主郭虎口部分。【右写真】主郭上の見晴台。城の最高所である。)
(【左写真】主郭下の「二の丸」。草が酷く立ち入ることはできない。【右写真】その下には腰曲輪もある。)
(さらに「三の丸」や段郭が見られるが、高度な縄張りではなく、古い形状。)
(【左写真】一の木戸の碑 【右写真】ここが木戸だが、遺構は良く分からない。)
(見晴台からの眺望。位置取りからして狼煙台に使用されたものであろう。)
(国土地理院発行の2万5千分1地形図)
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