小屋場城

標高845m、比高70m。古屋場城とも。

三原より東に延びる幅広い尾根の中段の平場に立地。八坂村の中心部に近く、ここから八坂地区の諸城の多くが見渡せる。

平場が三段ほどあって、仁科氏に属した北沢吉次という人物の城といわれる(『信州の城と古戦場』)。

南の工場(レヂトン)の敷地一帯が屋敷跡で、附属して耕作地や一族の居住地に当たり、北の山尾根の先端部の一角が物見台あるいは砦と思われる。しかし、城跡の範囲は広く、はたしてこれが城であるか疑問が残るという。いくつかの箇所は地滑りによってできた地形と考えられ、中段の平場も城内と見られるかは疑わしい(『図解 山城探訪』)。まして、全く放置されており、夏−秋は背丈以上の雑草で、表面観察をすることすら困難。

(参考サイト:長野県北安曇郡八坂村の伝説

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】屋敷跡とされるレヂトン工場付近。【右写真】何段かの平場はあるが、自然地形にも見える。)

(城域は荒れ果てていて、まったく進入することすらできない場所も少なくない。)

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