岡津城

岡津城(★★神奈川県横浜市泉区岡津町、標高59m、比高40m。)

岡津の地は、戦国時代、扇谷上杉定正の子・朝良が拠ったが、永正九年(1512玉縄城に進出した後北条氏によって攻略されたという(『新編相模国風土記稿』『戸塚の歴史散歩』)。
ついで、後北条氏は、島津太田大膳亮にこの地を与えた(『小田原衆所領役帳』)。その後、徳川氏の支配地となり
岡津陣屋が築かれた。

城地は、東海道の戸塚宿はずれの不動坂から大山道に2q進んで、小田原道と交差する付近であり、交通の要衝にあった(『日本城郭大系』)。

鷹匠橋が大手道とされ、橋を渡って坂を登ると、最下段の郭(岡津小学校)に至る。校舎の後ろは三嶋神社の境内で、三段ほどの平坦部がみられる。神社と校庭の間の道は「内堀」といい、土塁の一部が残っている。
その上には岡津中学校があり、「比較的古い遺構が残されていて貴重」(『日本城郭大系』)とされるが、現在は宅地化が進んで、明確な遺構は期待できないようである。

-補訂-

津城址研究保存会の肥後様より、以下のご教示を賜りました。謝して掲載させていただきます。(2006.12.24)

 赤い鳥居のお稲荷さんのある土盛りは横堀土塁でして、その下には、腰郭及び空堀(畑地)があり、お稲荷さんは小学校東側角下にありました。又、写真の鷹匠橋は河川工事によって新しく架けられた新 鷹匠橋で、ファミリーマート裏の川跡が元々の阿久和川で子易川に架かる青い橋が本来の鷹匠橋です。そこが大手と伝えられています。
中学校裏手の上り道は城道で 中学 校側の体育館等のある所が空堀及び櫓台が二ノ郭(中学校)から突き出ていまし た。現在は、下のほう(子易川寄り)に長さ約10メートル、幅約10メートル、深さ約6 〜7 メートルほど残っています。
又、中学校西側の鷹匠町公園は昔とほとんど地形が変わっておらず、帯郭が残っています。
主郭(地元伝承では大丸と言います)は、三島神社裏手の台地(中学校第二グランド)で東側及び神社側に土塁が残っています 。小学校と神社の間の道は内堀で写真の土塁は内堀土塁です。
三島神社には、前任の宮司さんが亡くなってから城郭体系に書かれている大丸(主郭)で出土した五輪塔が分からなくなっていましたが去年、その五輪塔を見つけ(半分は埋もれてバラバラに崩れていました。)神社の石祠の横に組み直して置いております。高校の方にも五輪 塔の 残欠や腰郭及び土塁が残っています。
岡津城の向かえ側は玄蕃山といい、古老の話では玄蕃城と言う城があったと伝えられているそうです。(ルネというマンションのある丘です)

 

(『日本城郭大系』掲載の縄張図)

(現在の岡津城航空撮影写真)

 

(【左写真】大手である鷹匠橋。【右写真】大手から見た最下部の岡津小学校。)

 

(【左写真】岡津小学校からさらに上の郭へ続く道。【右写真】付近に残る土塁跡。)

 

(【左写真】小学校上の三嶋神社。三段になっており、郭の名残りか。【右写真】岡津中学校付近の空堀跡)

 

(【左写真】岡津小学校脇にある小祠。【右写真】麓には川が流れ、天然の水堀になっている。)

 

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