要害山城

 武田三代の本拠・躑躅ヶ崎館の裏山である要害山一帯に建築された山城。信虎時代に今川方の福島正成に攻められた大井夫人は躑躅ヶ崎館からこの城に退避した。その際、武田信玄がこの城の本丸で産まれた(一説に積翠寺)といわれ、武田時代に甲斐の本城が使用された唯一の事であった。1576年には長篠・設楽ヶ原の合戦で大敗を喫した勝頼がこの詰城の修築に着手した。17歳以上60歳までの男子を毎月3日ずつ人夫として使っている。

本城の南側にも詰めの城址があり、往時の堅固ぶりは相当のものであったとされる。現在も本丸址からは躑躅ヶ崎館を含めた甲府市が一望できる。峻険な参道には要所ごとに番所址と思われる石垣が残存し、頂上の本丸址はかなり広い削平地であり、その要害ぶりは今でも垣間見る事が出来る。

 (要害山)

 

(主郭は相当に広く、周囲の土塁も良く残っている。)

 

 (【左写真】登山道には後年の石積みも混じっている様で、判別はやや難しいが、これは門址の石積みで遺構だろう。

 【右写真】門址はいくつもあって、非常に堅固な城。)

 

  (【左写真】門址にある渋い石積み 

【右写真】最も堅固だったという三の門。石積みの石には非常に大きな物もある。甲斐武田氏関連の城を色々廻ると、これが本当に信虎・信玄時代の遺構であるのか疑問を持つほど。)

 

  (【左写真】本郭虎口 【右写真】本郭すぐ裏の搦め手口堀切で、石積みで補強されているのは非常に稀有。)

 (要害山の石積みが遺構なら、なぜ他の城にも同様の改修をしなかったのか不思議。これだけの技術があれば石積みを多用してもよさそようだ。)

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