富士塚城

飯田五郎家義館とも。

飯田家義(能)は、源頼朝が石橋山合戦に敗れて安房国へ逃れる際に命を助けたことで知られるが、その館跡は、横浜市の西南、境川流域の台地(標高35m)と伝えられる(『日本城郭大系』『新編相模国風土記稿』)。

その位置は、横浜市戸塚区下飯田町と伝えられ、付近には「下馬」などの地名も残っている。富士塚(富士浅間講の塚か)と呼ばれる塚があって、明治三十四年に塚の南面を開墾した際、五輪塔や納骨瓶が出土したという(『中和田郷土誌』『日本城郭大系』)。

現在、付近は富士塚団地となって、何ら遺構は残っていない。旧鎌倉道沿いに面した富士塚公園に石碑が建つのみである。近くの東泉寺には、飯田家義の供養塔、出土品である五輪塔などが保管されている。

(跡地付近の航空撮影写真)

 

(【左写真】跡地である「富士塚団地」【右写真】団地隅の公園に建つ石碑。)

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