永井監物陣屋

戸塚区の西南部を流れる境川を挟んで藤沢市に接する東俣野町は、鎌倉古道や東海道が通る交通の要衝にあり、平安時代から江戸時代に亘って三つの館があったと伝えられている。
古くは俣野氏、次に横山氏、さらに永井氏と、それぞれ東海道の西側、また境川及びその支流・宇田川の東側の台地に構えられた(『新編相模国風土記稿』『日本城郭大系』)。

徳川家康の旗本・永井白元は、慶長元年(1596)330石で東俣野を知行した。諸国街道整備の際、本多光重とともに東海道と中山道の普請奉行であったといわれる。

陣屋は北に小さな沢が流れる台地上に構えられたが、現在は畑や住宅地となっている。当時を偲ぶものはあまりないが、その位置は俣野町866番地と伝承されている。しかし、現在、遺構はみられない(『日本城郭大系』)。

(跡地付近の航空撮影写真)

(跡地の「東俣野中央公園」。遺構は無い。)

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