杉浦八郎五郎勝吉屋敷

標高40m、比高25m。天正十八年(1590)頃創建。

杉浦氏は、新井城主・三浦一族で、鎌倉時代には杉本氏を称していた。建保元年(1213)和田合戦で敗れた杉本八郎義国は、近江国に逃れ、「杉本・三浦」から一文字ずつ採って「杉浦」を名乗ったという(『日本城郭大系』)。

杉浦勝吉は、”蟹江の七本槍”に挙げられる猛将で、弘治二年(1556)徳川家康の旗本に属し、家康関東入封後、この地(横浜市戸塚区小雀町1261番地付近)を知行したという(『日本城郭大系』)。

現在でも、付近には「的場」「塚」「大面」などの地名が残るが、遺構や伝承には具体的な位置を示すものがない。なお、小雀の地は、後北条氏時代、長尾砦と同様に玉縄城の支砦が構えられたと推定されている(『日本城郭大系』)。

(跡地付近の航空撮影写真)

(跡地付近。遺構は無い。)

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