豊島清光館
豊島氏館とも。 清光寺(東京都北区豊島七丁目)は、豊島権守清光を開基とし、この地は彼の旧宅の跡であったと伝承されている(『新編武蔵国風土記稿』『江戸名所図会』『日本城郭大系』)。 豊島氏は、秩父氏の庶流で、秩父武基の弟(または次男)武常がこの地を開発し、豊島氏を名乗ったという。豊島清光は『吾妻鏡』でも早くからのその名が見え、葛西清重は彼の子である(『日本城郭大系』)。 豊島氏は、当地に強力な地盤を築いていたが、太田道灌が江戸城に拠って勢力を拡大するにつれて衰微してゆき、文明九年(1477)ついに滅亡した。ただ、その子孫・豊島康保は後北条氏に仕え232貫を領している(『小田原衆所領役帳』)。 清光寺には、氏館に関する説明板が設置され、豊島清光の木像が伝わっているが、遺構などは一切残っていない。 (参考サイト:城郭図鑑) |
(清光寺)
(現在の航空写真)
(国土地理院発行の2万5千分1地形図)
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