舘谷の塁

舘谷の塁(東京都あきる野市舘谷)は、三内川と秋川によって形成された半島状の台地全域に位置し、土塁の残片があり、かつては空堀も残っていたという。
しかし、土塁に囲まれた区画ごとの防御的関連はなく、城館の範疇に入れてよいかは疑問視されている(『多摩丘陵の古城址』)。

古くから開けた土地で、付近にある正光寺は鎌倉末期の創建と伝わる。領主は、来住野(きしの)氏であり、戦国時代には後北条氏の幕下に入ったとされる(『多摩丘陵の古城址』)。

館主は、この来住野氏の先祖・来住野十郎兵衛とされ、屋敷跡の脇に馬場が残っていたという(『武蔵名勝図会』)。

屋敷の場所は明確ではない。昭和六十年頃には、正光寺の周辺に土塁の痕跡が残っていたという(『多摩丘陵の古城址』)が、現在では住宅地も広がり、明確な遺構を期待することはできない。

(参考サイト:城郭図鑑

(田中祥彦著『多摩丘陵の古城址』掲載の鳥瞰図)

 

(【左写真】正光寺 【右写真】土塁があった場所もその痕跡は失っている。)

(すぐ脇に秋川が流れ、要害の地形ではある。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

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