日奉氏館

日奉(ひまつり)氏は、武蔵七党の西党を名乗り、平安初期から鎌倉時代に至るまでの約400年間、東京都日野市東光寺付近を本拠とした(『武蔵七党系図』『新編武蔵国風土記稿』『武蔵名勝図会』『多摩の古城址』)。

日奉氏は、西党として多くの同族によって威勢を振るったが、そのほとんどは建保三年(1215)和田義盛の乱で滅亡。わずかに残った立川・平山一族だけが中世まで存続したという(『多摩の古城址』)。

東光寺は古くに廃寺となって地名として残るだけになり、居館の場所は不明である。廃寺の時期も分かっておらず、「北条氏照印判状」により戦国時代まで存在していたことが確実なだけである(『日本城郭大系』)。

(参考サイト:城郭図鑑

(現在の航空写真)

(「東光寺」周辺。遺構は残っていない。)

 

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