田村氏館

田村氏館(東京都日野市下田)に関する史料は無いが、安養寺が田村氏旧館跡であるとの口碑が残っている(『日本城郭大系』)。

田村安清という人物がここに居住して居館を設けたことから「下田」の村名がおこり、この者は田村安栖(あんせい)と同一人物だという(『新編武蔵国風土記稿』)。
田村安栖は天正十八年(
1590)頃の人物(『小田原記』)。彼は北条氏政に仕えた侍医で、小田原の合戦に敗れた氏政・氏照は天正十八年七月十一日、小田原城外の安栖の邸宅内で切腹したとされる(『日本城郭大系』)。

なお、降伏した氏政・氏照は十日に徳川家康の陣屋に入り(『浅野家文書』)、十一日に安栖邸に赴いた。『小田原記』は九日に小田原城を出て安栖邸に入ったとするがこれは誤り。また安栖邸を自刃の地とする確実な史料はなく、現小田原駅近くの「自刃の場所」と伝わるところが正しいとされる(相田二郎『小田原合戦』)。なお、安栖邸も現在その場所は分かっていない。

現在、この氏館跡は、医師の屋敷ではなく、日奉氏の一族・田村氏の館とする説が有力である(『日本城郭大系』)。周囲はまったく開拓され、遺構などは望むべくもない。

(参考サイト:城郭図鑑

(現在の航空写真)

(安養寺。遺構は残っていない。)

 

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