小沢城(川崎市)

標高87m、比高45m。南北朝時代、小沢氏築城。

新編武蔵風土記稿』によれば、もともと小沢小太郎の居城であったとされている。この小太郎は源頼朝の御家人であった稲毛三郎重成の子といわれ、この地域を支配していたらしい。

この地は鎌倉街道を見下ろす交通の要衝で、周辺では鎌倉時代から戦国時代にかけて幾度も戦乱に見舞われた。

戦国時代には後北条氏と上杉氏との勢力争いの前線地となっていたが、天文元年(1531)武蔵最大の支配力を持つ上杉朝興が府中に陣して北条氏綱と討とうと進軍してきたのに対し、後北条氏は小沢城に入り、これを小沢原に迎え撃って撃破した。北条氏康の初陣といわれ、小沢原合戦と呼ばれるこの戦いは小沢城の北側の多摩川原で行われたといわれている。

城址への登山道入口はよみうりランドの裏側の菅仙谷地区の住宅地にある。よみうりランド、ジャイアンツ球場のすぐ裏山であるが、大規模で良好な遺構が残っている。往時はかなりの要衝であったと思われ、小机城にも劣らない規模。

  

(【左写真】城址への登山道入口 【右写真】本丸址。奥が一段高くなっていて物見台があったものだろう。)

  

(【右写真】本丸のすぐ下にあるかなり広い郭。【左写真】城址の説明文もある。ここは現地の案内では馬場とされていた。確かに相当な面積を有するが、二の丸でないかと感じられる。)

  

(本丸の周囲には今でも深い堀が残っている。【左写真】堀底から階段を登っていくと【右写真】物見台があったとされる高台に至る。)

  

(【左写真】物見台の脇の井戸址といわれる遺構。【右写真】城址の北側は険しい崖に囲まれていて、攻めるに難い地形。)

 

 (【左写真】城址奥の浅間山にある祠。かつて浅間神社があり、旅人は安全を祈願したという。【右写真】菅仙谷からの遠望)

 

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