曽根新城

曽根新(そねあら)城(長野県佐久市大字岩村田字新城)は、湯川と濁川によって確立された岩村田の台地上にあったとされる。

もともと、450m×125mの連郭だったとみられ、城主は諏訪氏、松平氏とされ(『長野県の中世城館跡』)、戦国末期から江戸初期の城砦だと考えられる。

付近には「新城」「藤塚」「がん沢」などの地名が残っており、田切によって郭が区画されていたという(『長野県の中世城館跡』)。

城址は、上信越自動車道・佐久ICの北西だが、すっかり開発されて、遺構は何も残っていない。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡−分布調査報告書−』掲載の概念図)

(跡地。開発されて、面影は残していない。)

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