広戸城

武者城、民者城とも。

広戸城(長野県北佐久郡御代田町広戸)は、湯川によって浸食された比高70mの断崖が取り巻く台地の先端部に占地した。

天文年中の12月末、餅つきをしている際に、武田氏の急襲を受け、落城したと伝わる。城主・武舎加賀守は討ち死にし、奥方が崖から傘を広げて飛び降り、下の沼に沈んだという伝説を持つ。
後世、城主を悼み、城址の一角に墓碑を建てたが、何度建て直しても石が割れてしまったと云われ、近年まで、この地では暮れに餅つきをすると、餅が赤くなるとして行われなかったという(『山城探訪』『御代田物語』)。

城址は、東・南は断崖で侵入不可能である。広い台地上を大規模な空堀で区画し、3ヶほどの郭で構成されている。一帯は、耕作地になっているが、この空堀は比較的明瞭に残っており、城の規模の大きさが窺える。

武田氏によって攻略された後も、この地域を統治するために使用されたものと考えられる。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

(【左写真】広戸集落の航空写真)

(【右写真】長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』掲載の概念図

 

(【左写真】主郭部分。耕作化されているが広大。【右写真】主郭の空堀。大規模なもの。)

 

(【左写真】二の郭。こちらも畑に。【右写真】二の郭外の空堀。いずれも大規模な遺構だ。)

(城址の南・東側は断崖で人を寄せ付けない。ここから城主の奥方が飛び降りたという。)

(城址遠望)

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