笠原城

標高1047m、比高250m。

笠原城(長野県佐久市大字志賀)は、志賀城の東側2キロほどの笠原山の山頂にあった。

天文十六年(1547)閏七月に武田晴信に攻め落とされたのは、この城という説がある(『長野県町村誌』)。
有名な
志賀城合戦について、『高白斎記』には「志賀ノ城」と記載されており、志賀周辺の山城である
志賀城・高棚城・笠原城が候補に挙がっているが、いずれも確証はない。

城址は、土塁や堀などは無く、わずかな平場が散見されるのみだという。「どう見ても逃げこみ場所としか見えない」(『山城探訪』)。
登路は、志賀上宿の奥800m、採石場の南の沢を行くのが大手道で、駒込集落手前から沢筋を登り、余地ヶ入りの沢を詰めるのが搦め手という(『山城探訪』)。

遺構の期待できない山城だが、付近の県道沿いには、なぜか城址説明板が複数建っている。
また、山麓には石積みが多用された「屋敷跡」が残っているというが、一説に近年の耕作化の跡だとされている。

(参考サイト:天狗の麦飯 佐久の山旅

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(現在の航空写真)

 

(山麓には説明板が設置されているが、それに反して遺構は期待できない山城だ。)

(城址遠望)

(佐久・志賀周辺の城郭分布図)

 戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送