矢嶋城

標高728m、比高54m。矢島城とも。

矢嶋城(長野県浅科村矢嶋[佐久市矢嶋])は、矢嶋集落の西の丘陵の先端部に位置している。西側に虚空蔵山城、東側に天徳城を出城として配している。

城主の矢嶋氏は、望月氏の一族で、慶和元年(1181)の横田河原の合戦では木曽義仲に与している。戦国時代には武田氏に降り、その後、徳川氏に従ったとされる(『図解 山城探訪』)。

城址は、大きな丘陵全体に築かれたようである。広い平場が段郭状に配されており、規模の大きさを窺わせるが、そのほとんどが耕作地化して改変されたようだ。

220×90mの連郭城で、「城平」「城戸」「追手」などの地名が残るという(『長野県の中世城館跡−分布調査報告書』)。
また、城の西側には水田を隔てた茨城を施して敵の侵入を防ぎ、現在付近は「茨尾根」と呼ばれている(『定本 佐久の城』)。

主郭付近を車道(堀切道)が貫いている。この車道の南側の郭に城址説明板が設置されている。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

(城址の航空写真と現地縄張図)

 

(【左写真】郭のひとつ。防御よりも居住用の城だろう。【右写真】城址遠望。段々の郭が確認できるが、耕作地になっている。)

(現地説明板)

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