荒山城

荒城とも。標高717m、比高36m。

荒山城(長野県佐久市大字大沢)は、大沢川が佐久平に流れ出し、周囲を一望できる独立丘陵の上に占地した。

大永元年(1521前山城の支城として、伴野貞慶、貞秀が在城した(『貞祥寺開山歴代伝文』)。
その後、天正十年(
1590)には市川長義がいたが、徳川方の依田信蕃の攻撃を受け落城、城主の母・妙高は自刃したという(『市河文書』『図解 山城探訪』)。

城は大規模だったと思われ、長命寺の裏丘、天神社のある丘陵(坊中山)、大沢小学校跡の丘陵が城域とされている。
長命寺裏は「城山」と呼ばれ、耕作地となった曲輪跡と切岸が残る。切岸の上には「妙高稲荷社」があり、自刃した妙高を弔うものという。その他の丘陵にも平場が窺えるが、多くが改変を受けており、明瞭な遺構は期待できない。また宅地が進んでおり、城郭としての雰囲気も失われている。

なお、北側に流れる「陣川」の名は、依田信蕃が本陣を構えたことに由来しているという。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』掲載の概念図と航空写真

 

(【左写真】城址の一角に建つ長命寺。【右写真】長命寺裏の郭。「城山」と呼ばれている。現在は耕作地になった。)

 

(【左写真】「城山」の西端には土塁(切岸)が残る。【右写真】切岸上の「妙高稲荷社」。城主母・妙高を弔うものという。

 

(【左写真】「城山」西側、天神社のある丘陵(坊中山)。【右写真】「城山」と「坊中山」の間の堀切跡。)

(城址遠望)

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