稲荷山城
勝間反、勝間反砦、勝間城とも。標高749m、比高40m。 稲荷山城(長野県臼田町大字臼田勝間〔佐久市臼田〕)は、千曲川の左岸、佐久平の南部、稲荷山に位置し、西側を除いて急斜面・断崖が取り巻いている。 天文十六年(1547)武田晴信は、志賀城攻めの前、二十日に"桜井山"に駐屯しているが(『高白斎記』)、これを桜井対馬守の居城・稲荷山城とする説が有力であった(『信濃』十六巻七号、『定本 武田信玄』『信濃の山城』ほか)。 天正十年(1582)武田氏滅亡後、徳川家康は、甲信の諸士をここに駐留させ、松平家忠に城を修築させている(『武徳編年集成』)。 天正十年(1590)八月二十九日、「信州佐久郡岩崎に闘い、北條方 百九十三人撃取る」(『武徳編年集成』)とあり、徳川家康方の地侍が後北条氏に対し、勝間反砦(稲荷山城)を占拠して基地とし、対岸の岩崎山でこれと戦ったとされる。 もともと空堀を設け、複数の曲輪を配した平山城だった思われる(『長野県史蹟名勝天然記念物調査報告書』)が、城址の山は、神社・公園となって細部は失われた。 「北半に縄張りの概要を残す地形が見られるが、南半は、学園や施設等により削平され、現状から城の姿は見取れない」(『図解 山城探訪』)。 |
(国土地理院発行の2万5千分1地形図)
(長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』掲載の概念図と航空写真)
(【左写真】稲荷山の入り口。【右写真】城址に祀られた神社。)
(【左写真】主郭と思われる地。城郭の雰囲気は無い。【右写真】主郭には土塁らしき地形もあるが、遺構かは不明。)
(【左写真】城址からの眺望。【右写真】城址遠望。)
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