下畑城

標高846m、比高60m。

下畑城(長野県南佐久郡佐久穂町大字畑字下畑)は、下畑(しもはた)集落の西側の急峻な丘陵一帯にある。

天文九年(1540)武田信虎の佐久への侵攻の際、海尻城守将・小山田備中守信有の家臣・小林宮内助が佐久に一城を築いているが(『妙法寺記』)、それを下畑城に比定する説が有力である(『日本城郭全集5』『定本 佐久の城』『南佐久郡古城址調査』『長野県の中世城館跡−分布調査報告書−』)。

また、小宮山丹後守昌友の居城という伝説が残る(『日本城郭全集5』『定本 佐久の城』)
昌友は、武田信玄に従って侍大将となり、元亀三年(
1572)十一月、遠江二俣城を攻め、馬場美濃守と先陣を争って城内に突入、鉄砲に当たって討死したという(甲陽軍鑑』)。

城址からは焼米が出土したといい(『日本城郭全集5』『長野県の中世城館跡−分布調査報告書−』)、遺構も比較的良好に残っている。

尾根まで車道が通っているが、それが堀切の跡で、これより二段の小郭と堀切を経て、さらに本郭から三の郭まで配し、それぞれ堀切で区画している。下草は激しいものの、古城跡として貴重であろう。

(参考サイト:近江の城郭 飛騨の山猿大王

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図と城址の航空写真

 

(長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』掲載の概念図

 

(【左写真】主郭。下草が激しく、十分に見て廻れない。【右写真】主郭の土塁跡。)

 

(【左写真】二の郭。削平はしっかりしている様子。【右写真】主郭と二の郭間の堀切。)

 

(【左写真】その奥の三の郭。なかなか広い。【右写真】三の郭から堀切の先に二の郭を見る。)

 

(【左写真】虎口にある堀切。二重になっている。【右写真】城址入口と説明板。ここも元は堀切という。)

(城址遠望)

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