大相模氏館

大相模氏館(おおさがみ・埼玉県越谷市大成二丁目)は、荒川によって形成された自然堤防上にあったとされる。

大相模氏は、武蔵七党のひとつ与野党の一族で、十二世紀の人物である平能高が祖だという(『新編武蔵国風土記稿』『日本城郭大系』)。

大相模氏は、ここ越谷東部を大相模郷と称して永続し、享保十四年(1729)に”中村”と改称したという(『中村家系図』)。

なお、当地では、大相模氏の後裔が、江戸時代末期に神道無念流の道場を開いていた(『新編武蔵国風土記稿』『日本城郭大系』『越谷市史』『日本歴史地名大系』『埼玉の中世城館跡』)。

館跡には水堀がめぐり、土塁の痕跡があって、板石塔婆(文和三年・1354)などが出土したという(『日本城郭大系』『越谷市史』)。

しかし、現在、遺構は明確ではない。「従是東忍領」と刻まれた石碑の立つ場所が土塁跡の上だという。

(参考サイト:帝國博物学協会 武士の館 武蔵七党

 

  

(【左写真】館跡の遠望。【右写真】「従是東忍領」と刻まれた石碑。ここが土塁という。

土塁の痕跡

再訪 2015.1.15

  

桜堂墓地(埼玉県越谷市相模町5丁目)

大相模氏館から徒歩2分。大相模氏・中村家累代の墓所。多くの方篋印塔や板碑が並ぶ。 写真左奥の「六字名号板碑」には文和三年(1354)正月吉日の銘がある。

 

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(館跡の航空写真)

 

(【左写真】「従是東忍領」と刻まれた石碑。ここが土塁という。【右写真】館跡の遠望。

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