宇田家屋敷

宇田家屋敷(うだ・代官屋敷★埼玉県越谷市大成六丁目)は、元荒川によって形成された自然堤防の南端近くに存在した。

天正年間(1573-92)以前に宇田長左衛門の創建という(『日本城郭大系』)。

宇田氏は武州足立郡の出自で、大相模浄音寺の開山・存保上人を祖にもつ(『浄音寺寺伝』)。
すでにこの時代には一族がこの地(大相模)の土豪になっていたと推察され、文禄三年(1594)に上人は示寂したという(越谷市郷土研究会『越谷の中世城館跡』)。

宇田氏は、忍藩の飛び地・柿ノ木領八か村の割役名主(名主の元締)であったといい、代官と呼ばれていた(『日本城郭大系』)。
「村長百姓」と伝承され、柿ノ木領八か村を預かる忍藩割役名主である農家代表の位置づけが基本でありながらも、時には忍藩の名代として、農家を支配する二重の性格を持っていたとされる
越谷市郷土研究会『越谷の中世城館跡』)。

宇田家の後裔が屋敷を構えていて、水堀や土塁が残っていたというが(『日本城郭大系』)、現在、宇田家は引越し、跡地は大相模小学校になっている。
グランドになった場所は畑であったが、以前には庭園を眺める客殿であって、忍領主の訪問時にはこの客殿に宿泊し、お供の者は陣屋に宿泊したという
越谷市郷土研究会『越谷の中世城館跡』)。
敷地内に見られる起伏の地形は土塁の残片でないかと推定されているものの、詳細な検証は難しい時代になった。

(参考サイト:帝國博物学協会

 

(跡地である大相模小学校)

 

(敷地内には土塁の様な地形も見られる。しかし、遺構かはあくまで不明だ。)

 

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