阿島陣屋

阿島陣屋(長野県下伊那郡喬木阿島)は、知久大和守頼氏の子・則直が関が原の戦の翌年、即ち慶長六年(1601)阿島3千石の旗本としてここに館を築き、以来267年間この地を領知していた陣屋の跡である(『城址案内板』)。

知久氏は鎌倉時代、伊奈郡知久平にあり、のち神之峰城に移り、ついでこの地に移住した。
阿島初代則直より
11代頼謙の子、頼温の代に明治維新となり、同二年(1869)版籍奉還と共に陣屋は廃止となり建物も悉く取り壊され、現存するものは茶室「曙月庵」のみである。
広さ東西約
145m、南北約100m、面積16,000平方mである(『城址案内板』)。

陣屋跡は喬木北保育園の敷地となっている。


(陣屋付近の航空写真)
 

(陣屋石碑)

 

(【左写真】陣屋跡(喬木北保育園となっている)。【右写真】石垣跡。)


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