宇留賀城

標高580m、比高40m。古谷城とも。

宇留賀城(うるが・長野県東筑摩郡生坂村大字東広津宇留賀)は、犀川の支流である金熊川の谷、宇留賀地区の山尾根の末端部に立地した(『図解 山城探訪』)。

城主は宇留賀小次郎であり、室町時代の築城とされる(『北安曇郡誌』『信府統記』『長野県の中世城館跡−分布調査報告書』)。
宇留賀氏は、仁科氏の一族で、200年間この地を支配した。戦国時代、川中島の合戦で敗れて帰り、井口氏と改称したとされる。今も城址の山は井口氏の所有で、その末裔とされている(『図解 山城探訪』)。

周囲には「こや」「城裏」「城の沢」「堀の峯」などの地名が残る。また、宇留賀城は他にもうひとつあったが山崩れで消滅したという(『長野県の中世城館跡−分布調査報告書』)。

公民館の裏山が城址で、小規模ながらよく旧態を残していて、国人土豪層の城として貴重だという。また公民館付近の「こや」と呼ばれる辺りが居館跡とされる(『図解 山城探訪』)。

2006年5月2日の訪問。城址と思われる丘陵に幾度と無く挑戦し、無数の蜘蛛と格闘したが、遺構を発見出来ず、城址を特定することは叶わなかった。


 (城址の航空写真)

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図と『長野県の中世城館跡−分布調査報告書』の概念図

(宇留賀地区。後方の山に登ってみたが遺構は確認できず。)


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