須久毛氏館
須久毛氏館(すくも★埼玉県さいたま市岩槻区笹久保字須久毛) 『日本城郭大系』の巻末一覧に「武蔵七党の一つ野与党の一族・須久毛経高の居館という。」と記されている。 嘉暦元年(1326)八月二六日付、猿渡又三郎盛信(鎌倉鶴岡八幡宮の相撲奉行・猿渡重盛の子)の和与状によれば、当地(武蔵国須久毛郷)で何らかの争論があったという(『角川日本地名大辞典』『相州古文書』『金子文書』)。 現在は耕作地となっている。跡地と思われる場所は、”善念寺跡”付近と言われており、阿弥陀板石塔婆が残っている。周囲には、屋敷前、馬場、殿海道などの地名が伝わっているという(『岩槻市史』)。 阿弥陀板石塔婆 鎌倉時代中期の寛元元年(1243)の造立。岩槻市域の板石塔婆の中で最古。 |
(周辺は耕作化・住宅地となって遺構は見られない。)
2014年9月15日訪問
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||