柳澤氏(弥太郎)屋敷跡

柳澤氏(弥太郎)屋敷跡(★山梨県北杜市武川町柳澤)

柳澤氏は、鎌倉末期の甲斐守護・一條源八時信の六男・青木十郎時光を祖とする家系で、時光の六世尾張守安遠の次男弥十郎信興が柳澤村に封を受け、以後貞興(弥太郎)・信景・信兼・信久・信俊と代々にわたりこの地に住した。
武田氏が滅び、徳川家康が江戸城に入った天正十八年(
1590)、信俊は武川の諸士とともに武州鉢形領(現埼玉県寄居町)へ移り、慶長十九年(1614)采地において没した。
居館址は『甲斐国志』に「中原という処にあり」とのみ記されているが、現在、中原という地名は伝えられていない。また、柳澤の人々はこの辺りを「弥太郎屋敷」と言い伝えてきたが、度重なる大水害によってその痕跡を見ることはできない(現地説明板『北杜市・柳澤史跡保存会』)。

戦国期には、柳澤氏は武田信玄の家臣となった。永禄十年(1567)付『生島足島神社(長野県上田市)所蔵武田家起請文』に“柳沢信勝”が青木氏や山寺氏などとともに武川衆として武田信豊の属将として名を連ねている。また子孫の“柳沢吉保”は、第五代将軍徳川綱吉の寵愛を受け、大老格として幕政を主導した人物として著名である。

現地はのどかな山村となっている。遺構は見られないが立派な石碑が建てられている。

 

  

(【左写真】柳澤氏発祥の地の石碑。【右写真】石碑の脇にある石像。古いものなのだろうか?

 

(【左写真】柳澤の地。旧道が走っていたものと考えられる由緒正しい山里。【右写真】子孫の“柳沢吉保”は大老格として徳川幕政を主導した。

 

2015年8月13日訪問

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