神之峰城

神之峰城は諏訪氏の分流である知久氏が室町時代の中期に独立した山頂を利用して築いた山城。知久氏の所領は室町時代には下伊那の竜東一円、さらには竜西の一部にも及んでいたが、出城として知久平城を築き、本拠地はこの神之峰城であった。しかし、天文23年(1554)武田信玄の伊那地方進攻にあたり、ついに落城した。 

その後、この城は甲斐武田氏の支配するところとなったが、1582年に武田氏が滅亡すると、菅沼定利の居城となった。定利は城を拡張整備した。

知久氏はその後に徳川家康に認められて、江戸時代には喬木村阿島に旗本として陣屋を構えて活躍した。

城址は険しい山だが山頂まで車道が走っている。知久平城から山奥に進んでいくと大きな案内板があるので迷わない。車で山頂まで行けるが結構険しい道を延々登っていく。戦国時代は相当な要害だったであろう。郭や堀切が確認できるが、城址には至る所にテレビ塔が立っている。

  

(【左写真】城は非常に険しい山の頂上にある。【右写真】城址神社)

 

(【左写真】「出丸」だが、ここからは飯田市が一望できる。【右写真】「本丸」址でテレビ塔が建つ)

 

(【左写真】「二の丸」という。しかし搦め手を守る曲輪か出丸でないかと思う。)

(【右写真】そこから城内に入るには堀切・土橋を越える必要がある。)

 

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