諏訪原城

もともとは1569年頃に武田信玄がこの辺りに侵攻して、周囲にいくつかの砦を築いたのが起源という。

天正元年(1573年)武田勝頼は、父・信玄の意志を引き継ぎ、駿河攻めから遠江に侵攻をはかり、徳川家康の軍勢と雌雄を決する戦いを挑んだ。東海道を押さえ、敵の侵攻を防御する牧之原台地に堅固な要害を築くため、その臣、馬場美濃守氏勝を築城奉行として、もともとの砦を改築し、武田氏はここを遠江の東の拠点として攻略を開始する。

その後徳川氏が攻勢を強めると家康はここを落城させ、小山城に進出している。今、城跡は、国の文化財に指定され、武田流の築城遺構を随所に残す。武田氏の守護神である諏訪明神である諏訪明神を境内の一角に祭ったことから、諏訪原城と呼ばれるという。空濠・大手口から乾曲輪・二の丸・三の丸・本丸・天主台地跡が確認される。 

  

(中央写真は本丸付近にある石積みだが遺構かは不明。右写真は搦め手口でここに番所があったものか。)

  

(天守台地、本丸址、二の丸址)

  

(非常に大きくて深い堀が縦横に多数めぐっている。中央写真は大手郭でここに家臣屋敷があったという。右写真は大手口。)

 

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