新井宿城

『太田区史』などの郷土史料には見られないが『日本城郭大系』で推測として掲載している城址。

「小田原衆所領役帳」によれば新井宿に梶原日向守が51貫文の役高を有しており、このことから類推して、善慶寺の裏手の山が南西へ突き出た舌状台地の先端で館を構えるのに絶好の地だとしている。

ちなみに「小田原衆所領役帳」とは、1559年に北条氏康が家臣団の所役について調査・認定したものであり、関東戦国時代研究に不可欠の史料である。

城址とされる場所は古代から人々が住んでいた大森・山王の一角であって、今でも急な坂道を持つ小高い山である。善慶寺の裏山には現在「熊野神社」があり、周辺は住宅街になっていて遺構らしきものはないが、確かに街道を扼する要衝である。

  

(左写真は遠望。山麓に中央写真の善慶寺があり、城址と思われる場所には右写真の熊野神社。)

 

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