成宗城

標高42m、比高6m。道灌塁とも。

『新編武蔵国風土記稿』によれば、鎌倉時代の陣屋で、戦国時代には太田道灌の持ち城となって家臣を配置したが、道灌滅亡によって廃城に帰したと云う。また一説に大橋成宗という人物が籠居した場所ともされる。この成宗という者は後北条氏に仕えた土豪であろうと云う。

城址はかつて共立女子大学のあった場所で、遺構は全く無い。ただ善福寺川を南東にみる、地の利を生かした台地の端に位置している。

善福寺川

 

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