相模平塚城

標高9m、比高4m。室町時代中期、大森伊豆守の築城。

大森伊豆守は、永享十二年(1440)結城合戦の際に平塚に陣をひき、文明十年(1478)太田道灌に攻められて落城するまでここに居住していたという(『鎌倉九代記』)。

しかし、史料の分析上、武蔵国・平塚城との混同がなされており、この城の関する歴史は不明な点が多い。また正確な位置も判明しておらず、平塚農業高校周辺とされ、明治初期まで内堀・外堀が残っていたとの伝承も残るが、現在は何ら原形をとどめていない(『日本城郭大系』)。

  (平塚農業高校。遺構は無い。)

 

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