勝山城

 一般には1593年に浅野氏重の築城とされる。標高571m、比高110mの山城。

巷説では都留郡を支配していた小山田氏の本拠は大月の岩殿城とされているが、この勝山城こそ本城とするのが正しいであろう。小山田氏は都留の中心である谷村に1530〜1532年の間に居館を築いている。この当時の勝山城に関する史料は皆無であるが、そのすぐ背後に位置する勝山に詰めの城を築いていたものと思われる。

現在残る勝山城の遺構は豊臣・徳川時代のものであり、もともとの縄張りは全く不明であるが、堅固な山城を成していたと思われる。岩殿城は領主・小山田氏の居館からは離れており、街道を扼す支城、もしくは武田氏甲州支配の城郭のひとつという説もある(『日本城郭大系』)。

勝山城の確かな歴史は文禄3年(1593)に浅野氏重によって築城されたと『甲斐国志』に記されている。江戸の徳川家康に対して豊臣秀吉の一族・浅野長政の家老である氏重がこの地方の支配にあたっていたという。居城である谷村城とは桂川をまたぐ内橋で連絡し、要害の詰め城としていた。その後、城は豊臣氏から徳川氏に移ろい、1740年に藩主・秋元氏が転封して廃城になった。

  

 (【左写真】本丸 【右写真】本丸虎口の石垣)

 

 (【左写真】二の丸 【右写真】三の丸)

 

 (【左写真】桂川で、ここに橋が架かっていたようで礎石も残る 【右写真】城址遠望を谷村城から)

 

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