荒神尾城

七嵐城とも。

刈谷原峠の東、稲倉峠の間の標高995m、比高250mの尾根上に位置する。

城主は太田弥助。天文二二年(1553)に武田信玄が攻略したというが、歴史的な面は不明確である。ただ刈谷原城からは尾根を数個隔てた近距離であり、この荒神屋城の詰めの城とみられる見場城、猿ごやなどがあり、城郭の規模も大きく、四賀村の南側の大拠点であったのだろう。

このことから武田信玄が攻めたのは刈谷原城ではなく、この荒神尾城でないかという説もあり、それは全く首肯できる。

遺構は、主郭から四郭まであり、石積みの址も見られる。大手は東側斜面とみられ、北側尾根及び南側尾根の参道には複数の堀切が確認できる。明らかに刈谷原城よりも規模雄大、防御堅固で、こちらが本城であろう。城址への登山道は見られない。錦部小学校から見えるイビツな山が城址で、とにかく登り易い場所を探してよじ登るしかないようだ。登山には経路によるだろうが、速くても30分ほど必要。

 

  

(【左写真】本郭と城址碑 【右写真】本郭土塁)

 

(【左写真】南尾根の深い堀切 【右写真】二の郭から本郭を見上げる)

 

(【左写真】本郭、二の郭は石積みが囲む 【右写真】城址遠望)

(自作縄張り図。左上が南尾根。4つの郭に、帯状の削平地もあり。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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